『いつもそばには本があった』(國分功一郎・互盛央)



人文書、思想書が読まれなくなって久しいそうだ。私は、さきごろ台湾の本屋に入って、本そのものがオーラを放っているのを感じて、昔の日本にもそんな時代があったのだと懐かしく思い出したものだ。

この本は、哲学者と編集者の、1990年代からの思想書をめぐる想い出話ともとれる。帯には、間違ってもガイドブックではない、と書かれているが、なんのことはない思想書ガイドブックそのものだ。

ただ2人も嘆いているように昨今は、わかりやすい本でなければ売れないという要請から、やたらに薄っぺらな新書風のモノが侵食して、硬派な本は、すっかり姿を消してしまった。國分の書いた「暇と退屈の倫理学」とは、人生の意味、いかに生きるべきか、などというかつての哲学書が扱った問題を哲学者が問わなく、問えなくなって久しい状況での皮肉なタイトルである。

そもそもわが国では外国思想が知的ファッションとして次々と紹介されては忘れられるという状況が続いてきた。なかでもフランス現代思想がその代表である。この2人もその一派だ。

一方、科学者からは、人類の考えてきた哲学はすべてムダだった、との意見もある(たとえば池谷裕二)。

本書の2人には、本を読むことの効用は、世界を見る見方を拡げてくれるのだ、ということを伝える能力がある。願わくば、あまりに薄っぺらな迎合は、おやめください。


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