イエス誕生の馬小屋をイタリア語ではpresepio という。飼い葉桶を意味するpresepeから来ている。しかし福音書には「馬小屋」という言葉はどこにもない。
長く中東に暮らしたベイリーという米国人神学者は、中東の文化では、家畜は人々と同居していたという。イエス誕生は馬小屋ではなく、客間の隅ではなかったか。
若松はこういう見解を紹介しながら、こういう議論は〈あまりに貧しい〉という。「資料的に「正しい」ことだけに重きを置く視点は、さまざまな現象の奥に隠された重大な意味を見失う可能性がある。さらに言えば、資料の文字だけを見る者には、そこに随伴する不可視な「言葉」は見えてこない。」
この不可視な「言葉」を、本書では「コトバ」と記す。
コトバは、言語だけではない。音楽も美術も含む。ヨハネ福音書冒頭のロゴスと同じだ。
若松英輔の生きかたには、常にこのコトバとの交流がある。