11世紀の第1次十字軍が急襲でイエルサレムを解放したあと、できあがった十字軍国家は守りの時代に入る。軍勢がヨーロッパに帰ってしまったからだ。第2次は、シトー派のクレルヴォーのベルナールが扇動して出立したのだが、わずか4日間で撤退してしまう。(「イスラム教徒は殺せ!」と絶叫したベルナールが、のちに聖者となるのには呆れる。)
塩野がかなり自負を込めて書いているのが(2次から3次の間でも40年間)一体なぜ十字軍国家はもったか、という説明である。
第1は2っの騎士団、すなわち聖堂(テンプル)騎士団と、聖ヨハネ(病院)騎士団の存在だ。といっても夫々数百人ほどの騎士なのだが、軍事的には「特殊部隊」といっていいものだった。
第2は、城塞の存在。難攻不落だった。そして第3が、塩野独自の視点であるイタリア海洋国家による制海権である。
イスラム側も、バグダッドのトルコ人・ペルシャ人(アッバース朝・スンニ派)とカイロのアラブ人(シーア派)の対立もあって統一がとれなかったこともある。
だが、ついにサラディンが登場、イスラム側の反撃が始まる。最後は、イエルサレム攻防戦のあと、十字軍以前の状態に戻る。やはり塩野は、ヨーロッパ側に立つ感じで、イスラムの英雄サラディンの天才を認めても、人格的には共感していないようだ。サラディンの「寛容」も、対するイベリンとの取引の結果だったという種明かしをする。