『日中韓はひとつになれない』(小倉紀蔵)

ぐるまん

2010年02月17日 20:36



がっかりする本である。この著者、キーワードを使いすぎる。いまはなくなった「論座」に掲載されたものが多いのだが、小倉の知的レベルが低いのか、それとも論座の読者をみくびって落として書いているのか、よくわからない。

『韓国は一個の哲学である』は、それなりに読ませてくれたが、「理」「気」だけで説明する安易さをひきずっている。この本では「性善説ライン」などというものが日本海の真ん中に引かれた地図がでてくる。どんな内容であれ、一本の線で分割する粗末な発想には呆れるばかりだ。

プレモダン、モダン、ポストモダンという区分も前著と同じ。モダンには小泉とぺ・ヨンジュンを押し込んでいる。さらに「メタ」と「ベタ」という区別がある。「ベタ」ってなんなのか?

後半で「市民」という言葉が、日本ではサヨク的用語だが、韓国では権力志向の意味になり、「左翼」「左派」は、韓国では自文化中心のナショナリストの意味になる、というあたりは面白い。こういう具体的なことを詳しく書けばためになるのに。


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